風色の本だな

風色の本だな

レオ・レオニの世界

レオレオニ

鳥のライン
 

レオ=レオニは1910年、オランダのアムステルダムで生まれ、
アムステルダム、ベルギー、アメリカ合衆国、スイス、イタリーで勉強し、
ジェノア大学で経済学博士号をとりました。

画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、彫刻家、アート
ディレクター、そして絵本作家として活躍しましたが、実は彼が絵本を
描き始めたのは49歳の時でした。

そして残念ながら1999年、老衰のため、たくさんの素晴らしい作品を残して、
この世を去りました。 
 
活躍の場は幅広く、絵本作家というより、エリック・カールにも
大きな影響を与えた偉大な芸術家でした。

彼が創り出す絵本の素晴らしさは、私たちにとって何よりも大切な“やさしさ”
や“思いやり”そしてそれらに対する聡明で健康な知恵とユーモアがありました。

そこには、「子どもの自由な心と眼をもって創作する」という彼の考え方が
あります。

鳥のライン


◆『あおくんときいろちゃん』(『little blue and little yellow』)
  レオ=レオニ・作/藤田圭雄・訳/至光社
 
 
すでに古典といわれるこのお話は、お孫さんたちと買い物に出かけた
帰りの電車の中で、お話をせがまれ、その時たまたま持っていた
『ライフ・マガジン』誌の広告ページをちぎって偶然生まれたお話だ
そうです。

レオ=レオニの20数冊の絵本作品の中で、最高の傑作である『あおくん
ときいろちゃん』は、こんな日常的なお孫さんとの交流がきっかけで、
ごくごく自然に生まれてきた彼の初めての絵本です。

自然に生まれたものとはいえ、その背後には、レオ=レオニの人生経験や
豊かな思索、鋭い観察力、物事の本質を見極めようとする洞察力、
そして積み重ねられた芸術的修練と磨き抜かれた才能があったから
こそ生まれたものであると言えます。

画面の余白を上手に使い、色や登場人物、文字の配置に工夫を凝らすことで
心情をあらわし、抽象的な形でありながら、それらがまるで実際に
生きているようにも見えるから不思議です。
 
例えば、あおくんがきいろちゃんと遊ぼうと、きいろちゃんを探す場面では
“不安”を画面いっぱいの黒と赤の背景で表しています。 

その後二人が出会うと、あおくんがきいろちゃんに駆け寄って行くような
画面構成になり、きいろちゃんと抱き合う場面では、嬉しい気持ちが
重なって緑色になるという、心理的な面を視覚的に表現しています。

さすが、デザインの仕事をして来たレオ=レオニらしい、
感情の表現方法を利用したすばらしい作品です。
 
「『あおくんときいろちゃん』は自己認識の問題です。

苦しみを通して他人との衝突によって、自己の認識へと至ります。』
とレオ=レオニは語っています。

アメリカでは、この絵本の青と黄が重なってまったく違った緑になると
いうテーマが、人と人の心の融和を暗示するものとして、おとなたちの
間でも好評を博しています。

鳥のライン


◆『フレデリック』  レオ=レオニ・作/谷川俊太郎・訳/光学社


谷川俊太郎が訳す簡潔な文章と、見開きの絵が一枚の絵画のような
すばらしい絵本になっています。

詩人ねずみのフレデリック。サブタイトルは「ちょっと かわった 
のねずみの はなし」です。

冬ごもり前にフレデリックが集めた日の光、自然の中に息づくものたちの
鮮やかな姿、そしてそれらを伝える言葉があったからこそ生まれた物語です。

「フレデリック、どうして きみは はたらかないの?」みんなはきいた。

「こう みえたって はたらいているよ。」とフレデリック。

「さむくて くらい ふゆの ひのために、ぼくは おひさまの 
ひかりを あつめているんだ。」

「こんどは 何しているんだい、フレデリック?」

「いろを あつめているのさ。ふゆは はいいろだからね。」

ふゆがきて ゆきがふりはじめた。五ひきの ちいさな のねずみたちは、
いしの あいだの かくれがにこもった。

「きみがあつめたものは、いったいどうなったんだい、フレデリック。」

みんながたずねると

「目をつむってごらん」

「きみたちに おひさまをあげよう。ほらかんじるだろ、もえるような 
きんいろの 光・・・」四ひきの ちいさなのねずみたちは、だんだん
 あったかくなってきた。これはまほうかな?」

フレデリックの言葉から敏感にイメージをふくらませ、心の目や耳で、
自らを豊かにさせる感性を持った仲間がいるからこそ、
詩人である彼の存在が生きています。

食糧の尽きかけた隠れ家で、4匹の仲間たちを前にして
語り続けるフレデリックの姿は、私たちに本当の豊かさとは何かを
語りかけてくれますね。

鳥のライン


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